スポーツ

池崎大輔選手が金メダルにこだわった理由と車いすラグビーのルールを解説!

スポーツ

2024パリパラリンピック車いすラグビーが6度目の出場で悲願の金メダルを獲得しました。
初の快挙は「車いすラグビーをもっと身近なものにしたい!」という、池崎大輔選手の金メダルへの強いこだわりがあったからです。

長年の努力とチームの固い結束の結果生まれた勝利です。

この記事では金メダル獲得までの裏側と車いすラグビーのルールを解説していきます。

池崎大輔選手が金メダルにこだわった理由

ここからは、池崎選手が金メダルにこだわった理由を紹介していきます。

池崎大輔選手(46)が金メダルにこだわる理由

主力選手の一人、池崎大輔選手には「金メダリストになって、車いすラグビーの魅力を伝えたい!」という強い思いがありました。

池崎選手は、6歳の頃に手足の筋力が徐々に低下していく、難病のシャルコー・マリー・トゥ―ス病という難病を発症します。

しかし、障害をものともせず高校時代から15年間車いすバスケットボール選手として活躍していましたが、その当時、腕の筋肉が落ちていくことで握力もなくなっていき、シュートしたボールがゴールまで届かなくなっていたのでした。

30歳を間近に控えたある日、所属していた車いすバスケットチームメイトに「ラグビーなら日本代表を目指せる」と言われ、車いすラグビーに挑戦する決心をしました。

車いすラグビーの選手には重度障害者の割合が高く、池崎選手の障害の程度は比較的軽い方でした。

車いすラグビーの競技内容の解説

車いすラグビーは1977年、重度の障害者にもスポーツの機会を作ろう、という考えのもとカナダで考案されました。体育館のバスケットコートを使って、男女混合4人対4人で試合を行います。バレーボールを元に開発された専用のボールを使います。

特徴は車いす競技の中で唯一のフルコンタクトスポーツである、ということです。思いっきりぶつかって相手を倒しても良く、とても激しい競技と言えます。

なぜ、重度の障害者にこんなに激しいスポーツを?という疑問に、池崎選手はこんなふうに答えています。

「僕が思うに、重度の障害があってもこんなに激しい競技ができる、自分たちは強く生きるんだ!、というメッセージが込められているのではないでしょうか。」

選手には、身体の使える機能によって0.5~3.5まで7段階のポイントが付きます。コートに入る4人の選手の合計ポイントが8点までと決められています。

例えば池崎選手は3点。もう一人3点の選手が入るとあとの2点は、0.5点と1.5点の選手か1点と1点の選手の組み合わせになります。

重度の障碍者を必ず入れなければならないのですが、障害が重い人は活躍できないのでは?と思われるかもしれませんが、身体を張ってブロックしてチームメイトを通すための道を作る、など障害の重い人も軽い人もコートでの役割があり、それぞれの選手が自分を表現できる競技になっています。

金メダル!世界一!というこだわりが芽生えたある出来事

2009年、出身地の北海道のチームに入ると、スピードと高さを兼ね備えた得点力で頭角を現し、同年の車いすラグビー日本選手権でチームを3位に導きました。

次の年、日本代表に選抜されます。パラリンピックには、2012年のロンドン大会から出場します。

2016年のリオデジャネイロ大会、2021年の東京大会では、銅メダルに貢献しました。

でも、2大会連続でメダルを取っても、車いすラグビーを巡る環境は思ったほど変化はありませんでした。

試合や練習の時、車いすの操作で急停止や急旋回をするため、体育館の床にタイヤ痕が付き、練習後きちんと清掃しても「床が汚れるし、傷が付く」と貸し出しを拒む施設もありました。

「環境を変えるには、結果を出すしかない!金メダルしかない」。世界一への強いこだわりが芽生えていったのでした。

池崎選手の夢

「パラスポーツのクラブハウスが欲しい」というのが池崎選手の夢です。

車いすラグビーはその激しさから、体育館の床に傷や松脂の汚れが付くため、貸し出しを嫌がる体育館も多いためクラブハウスがあれば、そういうことも気にせず練習や合宿で使えます。

そして、車いすラグビーや他のパラスポーツがもっとメジャーになっていけば、障害を持つ子供たちに希望を与えることができる、と池崎選手は考えています。

そのためにも金メダルが必要。メダリストの言葉には重みや説得力があるからです。

主力選手の生い立ちとこれまでの経緯

車いすラグビーの日本代表チームには、池崎大輔選手のほかに2人の主力選手がいます。池 透暢(ゆきのぶ)選手と、橋本勝也選手です。

亡くなった友人がくれた奇跡

車いすラグビーの日本代表をけん引してきた、主将の池 透暢(ゆきのぶ)さん。悲願だった金メダルを獲得し、「すべてのものが素晴らしく、美しく、こんな最高の場所で、最高のプレーをして、最高の結果。スポーツ選手として最高の瞬間だった。」と喜びを素直に表現しています。

2000年3月、交通事故で全身の75%を火傷しました。左脚を切断し、同乗していた友人を3人亡くしました。

「奇跡のような瞬間を僕にくれたので、もしかしたら背中を押してくれたのかな。」亡くなった3人の友人への感謝の思いを込めたそうです。

今大会チーム最多の79得点。エースに成長した橋本勝也選手(22)

「勝利の瞬間手が震えた。このチームで勝ち切ることができてホッとしている。」と屈託のない笑みを浮かべました。

福島県、三春町出身。先天性の四肢欠損で生まれ、「幼少期は自分の身体が恥ずかしくて、引きこもりがちだった」。そんな少年を変えたのが、車いすラグビーでした。

中学2年の時に競技をはじめ、そこからわずか2年。2018年福島県立田村高校1年生の時に代表に召集されました。持ち前のスピードと思い切りの良さを武器に代表に定着しました。

2021年パラリンピック東京大会、日本は2016年のリオデジャネイロに続く銅メダルでした。

その時、橋本選手は「東京大会で悔しい思いをして、勝ちたい!よりも負けたくないという気持ちが強くなった」、と鍛錬を続けました。

「世界一の選手になるために何が必要なのか。何をすべきなのか、1つ1つ課題をクリアにしていったことで今回の結果があると思う。自分一人の力では、ここまでこれなかった。」、とチームメンバーへの感謝を口にしていました。

2024パリパラリンピック金メダル獲得までの経緯

1969年:アトランタ・パラリンピックで車いすラグビーが公開競技に採用された。

1997年:国内に統括団体「日本区アドラグビー連盟」が誕生。日本代表が結成。

2004年:アテネパラリンピック初出場 6戦全敗

2008年:北京パラリンピック 7位 本格的に選手の強化に乗り出す

2012年:ロンドンパラリンピック 4位

2016年:リオデジャネイロパラリンピック 銅メダル

2021年:東京パラリンピック 銅メダル

ここまで、一歩ずつ進化してきて、成熟した選手が集まり、東京大会経験者が12人中11人
という、史上最強の状態で迎えた今回のパリ大会でした。

新理事長に有働由美子アナウンサー就任

アメリカを48-41で破り、金メダルを獲得したこの日、観客席は、元NHKのアナウンサーで
現在はフリーで活躍している、有働由美子アナウンサーの姿がありました。

有働さんは、2024年の6月に日本車いすラグビー連盟の理事長に就任しています。任期は2年。

今回は、パラリンピックを観戦するために現地を訪れていました。

「キャスタ―の目線で、選手の魅力がより一層引き立つように協力できれば」、とコメントを残しています。

車いすラグビーのルール

ここからはラグビーのルールについて解説していきます。車いすラグビーと健常者のラグビーの主な違いをまとめました。

チーム編成

■車いすラグビー:1チーム、4人の選手で構成されます。選手には障害の程度に応じて0.5~3.5点の持ち点が与えられます。コートの中の4人の合計点は8点以内になるのがルールです。

■健常者のラグビー:1チーム、15人(ラグビーユニオン)、又は13人(ラグビーリーグ)で構成されます。

試合時間

■車いすラグビー:試合は8分間のピリオドを4回行います。

■健常者のラグビー:試合は40分間のハーフを2回行います。

得点方法

■車いすラグビー:ボールを持った選手が車いすの2つの車輪をトライラインに乗せるか通過させると1点が入ります。

■健常者のラグビー:トライはボールを地面に押し付けることで5点が入ります。コンバージョンキックで追加の2点、ペナルティキックやドロップゴールで3点入ります。

パスとドリブル

■車いすラグビー:前方へのパスが認められています。ボールを持った選手は10秒以内に1回ドリブルするか、見方にパスしなければいけません。

■健常者のラグビー:前方へのパスは反則を取られます。ボールは後方、または横方向へのみパスできます。

タックル

■車いすラグビー:車いす同士のタックルが認められています。その激しさから「マーダ―ボール(殺人球技)」と呼ばれたりします。

■健常者のラグビー:選手同士のタックルが行われますが、首から上へのタックルや危険なタックルは反則を取られます。

ボール

■車いすラグビー:バレーボールの5号球を元に作られた専用のボールを使用します。

■健常者のラグビー:楕円形のラグビーボールを使用します。

 

以上の違いにより、車いすラグビーは独自の魅力と戦略が求められるスポーツとなっています。

コメント