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【ブレイキン】2024パリオリンピック 盛り上げるDJは全てアドリブ

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2024年パリオリンピックで初開催となる、ブレイキン。

開幕日の7月26日が着々と近づいています。

今回はブレイキンの中でも重要なポジションとなる、「DJ」について
掘り下げてみようと思います。

ブレイキンとは

2024年パリオリンピックで初開催となる、ブレイキン

まずはどんな競技なのか見ていこうと思います。

ブレイキンとは、ブレイクダンスとも言われています。

音楽に乗せて、身体のあらゆるところを使って、回ったり、飛んだりと
アクロバティックな動きを取り入れたダンスです。

「BREAK DANCE」というものは、「4ELEMENTs」の要素からなる「hIP-Hop」と呼ばれる
文化(カルチャー)の1つです。

そのHip-hopのダンスをお踊っている人たちのことを、「B-BOY」「B-GIRL」と呼びます。

元々は、「BBOYING」や「BREAKING」、略して「ブレイキン」と呼ばれていました。

メディアの間違った宣伝高校句の影響で「ブレイクダンス」という言葉が広がったようです。

元々の名前は「BREAKING」です。

「4ELEMENTs」の中には、DJ,BBOY、MC、GRAFFITYのことを言います。

ブレイキンの特徴

ブレイキンの特徴として、「バトル」という言葉があります。

踊りを見せ合い、戦うこを「バトル」と呼びます。

具体的には、1対1または2対2などのソロ(一人で踊ること)が中心です。

戦うカテゴリーや、チームバトルなど、大人数でルーティン(合わせ技やチームとしての
空気感やチーム力)をして戦うなど、様々な種類があります。

ソロバトルでは、ブレイカーとしての精神力や経験値などが求められます。

チームでのバトルでは、コミュニケーション力や想像力などが必要です。

この「バトル」の文化には、ブレイキンの歴史が影響していて、
若い世代へと受け継がれています。

ブレイキンの歴史

始まりは、1940年代はじめのニューヨーク・サウスブロンクス地区の貧困地帯でした。

当時のこの場所は世界でもまれにみる貧困地帯でした。

アウトローたちが現れてきて、縄張り争いが始まり、たくさんの命が奪われていきましたが、
そんな彼らも家に帰れば、BREAKINGやMC、DJなど、音楽に没頭していたと言われています

当時、人が殺し合いでなくなっていく中、そのパワーをどこへ向けていいのか分からなくなった
ギャングたちに、

「殺し合いをせずに、音楽で勝負する」

と、当時のギャングのボスが呼び掛けたことによって、向き合って踊る「バトル」をいう形が自然に
生まれてきました。

そのころ、BLOCK PARTY(クラブパーティーのようなもの)と言われる、
音楽を通して「楽しむ場所」ができ、彼らはそこでもバトルを繰り広げ、
Hip-HOPカルチャーが瞬く間に世界に広まっていきました。

「Hip-Hop」という言葉が世の中に出たのは1982年だだと言われています。

その後、1980年代前半、ニューヨークの大規模なバトルがメディアの関心を受け、
これがブレイキンの急速な成長へと繋がり、テレビ番組や映画化、公のイベントなどにも
進出していきました。

ブレイキンの要素

ブレイキンには、様々な動きがありますが、大きく分けると、TOPROCK、FOOTWORK、
POWER MOVE、FREEZE
という構成になります。

この4つの動きの中にもたたくさんの動きがあり、これらを基盤として、自分独自の
良さを生かした動きを取り入れていきます。

身体能力の高さが主に必要とされるように思われますが、もちろんダンスなので音楽や
表情、見せ方など様々な表現力やセンス、キャラクタ―、新しいものを作り出す創造力など、
いろんなことが問われます。

TOPROCK(トップロック)

フロア(床)に入る前に立って踊るダンスのこと。

ほとんどのラウンドでこのトップロックからムーブ(演技)が始まります。

トップロックを踊りはじめることが、ムーブに入る合図にもなります。

また、それぞれの動きには意味や解釈を保有しているものもあり、組み合わせることで
表現やアピールとなります。

FOOT WORK(フットワーク)

しゃがんだ姿勢で地面に手をつき、素早く動く足さばきやステップなどのこと。

フットワークは、いくつかのパターンがあり、ステップの大パターンの組み合わせや
変形を加えることでオリジナルティを出します。

POWER MOVE(パワームーヴ)

背中や肩で回るウィンドミル、頭で回るヘッドスピン、体操の安場の技にもあるトーマスフレア
などが有名であり、身体の様々な部分で回転する動きを指します。

ブレイキンを代表するような、アクロバティックな動きが特徴的。

FREEZE(フリーズ)

トップロック、フットワーク、パワームーヴなどの一連の流れから、音に合わせて身体の動きを
固めて止めることをフリーズという。

この動きには、バランス、パワー、柔軟性が必要で、止まる時の身体の形や、止まり方
で個性を表現します。

椅子に座っているように見える、「チェア・フリーズ」が有名で、低い位置や高い位置で止まるなど
様々な種類があります。

ブレイキンを盛り上げるDJとは?

通常、DJはバトルから少し離れた壇上やDJブースにいて、ヘッドフォン1つでパワフルな
ミックスを生み出しています。

観客を盛り上げるトラックをプレイしてバトルに火をつけたり、ジャッジのショーケースの
トラックを担当したりしている彼らは音楽そのもので、DJたちがいなければイベントは成立しない
と言っても過言ではありません。

DJが生まれた背景、歴史

DJとは、Disk Jockey(デスクジョッキー)の略のことです。

直訳すると、Disk(レコード)のJockey(操作)となり、フロアー全体を操縦、操作する人、
という意味合いになります。

元々はラジオのDJが起源と言われています。1940年代からラジオDJは存在していました。

1960年代に入ると、アメリカ・ニューヨークでDJがレコードをかけ、それに合わせてお客さんが
踊る、というスタイルが確立されます。

ナイトクラブや、ディスコの誕生ですね

その時のDJはターンテーブルが1つだけで、1曲流し終わると、また別のレコードを流す、という
アナログスタイルで、曲と曲の間をつなぐためにDJはお喋りをしなければいけなかったんです。

今とはずいぶん違っていますね~

DJは曲と曲の間をつなぐために、お喋りのスキルが必要でした。
その名残があって、ラジオで話をしながら曲を紹介する人を「ラジオDJ」と呼ぶ、
という一説

その後、レコードの二枚がけが開発され、2ターンテーブルが主流となり、曲と曲の間の
お喋りなしに埋めれるようになったり、スクラッチが発明されたり、DJの技術が飛躍的に
進化を遂げます。

世界3大DJのご紹介

1970年代以降、DJを飛躍的に進化させ、世の中に広めた3人のDJをご紹介します。

クール・ハーツ(Kool Herc)

本名:クライブ・キャンベル(Clive Campbell)

1955年4月16日ジャマイカに生まれる。

1967年、ジャマイカからニューヨーク市のブロンクスク区に移り住む。

1973年、妹の誕生日パーティーのためにレコードと機材を用意し、DJを始めた。

最初は本名で活動していたが、あとにハ―ク(ハ―キュローズの短縮形)と名乗る。

この頃に、ターンテーブルを2つ同時に使って、2枚の同じレコードの特定部分を交互に何度も
繰り返す「ブレイクビーツ」を発明したと言われている。

所説あるが、一般的に「ブレイクビーツ」で踊り出すダンサーのことを
「B-ボーイ」(ブレイクボーイ)と名付けたのはクール・ハーツだと言われている。

グランドマスター・フラッシュ(Grndmaster Flash)

本名:ジョセフ・サドラー(Joseph saddler)

1958年1月1日、バルバトス ブリッジタウンに生まれる

1970年代、ブロンクスで活躍していたDJ、クール・ハ―クからDJを学び、
1970年代後半からDJ活動を始める。

クール・ハーク、アフリカ・バンバータと並び、オールド・スクール期の最も重要なDJ
である。

アフリカ・バンバータ

1957年4月17日、ニューヨーク、ブロンクス区リバーサイド生まれ
本名:ランス・テイラー

ヒップホップの名づけの親と言われています。

幼いころから、黒人人権運動の活動家だった母の影響を強く受け、また、母の持つ様々なジャンルの
音楽レコードにも触れる機会を持つ。

南ブロンクスでは、ギャングが地域を取り仕切るようになり、アフリカ・バンバータは自身の
縄張りと、メンバーを守るために戦いました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

自分自身しらべていて、ブレイキンの奥の深さに驚いています。

歴史もあるし、重みもある。

正直、もっともっと調べてみたいと思いました。

世界3大DJと言われている、3人のDJたちも、一人一人をもっと掘り下げて
いきたいと思いました。

簡単ではありますが、今回はひとまずこれで終わりたいと思います。

ありがとうございました。

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